2006年12月 『祝!運動会デビュー』
さる10月22日(日)、わが子が通う小学校の運動会がありました。当日は『曇り』の予想で、夕方からは『雨も』と言うことで心配されましたが、何とか無事にすべてのプログラムが終了しました。(先生方もPTAのみなさまもごくろうさまでした。)
実はこの小学校は私の母校でもあります。その頃と変わらない『モノ』もあれば、『ヘェ〜』と思うこともありました。あのころ、ピュア(?)なサッカー少年だった私にとって、このグラウンドは広く大きく感じられたものでした。
何十年ぶりに訪れてみると、グラウンドはすごく小さく感じられました。このグラウンドで夏の暑い日も、冬の寒さの中でも、ボールを追って元気に走り回っていたあのころを、懐かしく思い出し、そしてシミジミと『歳とったナァ…』と改めて思いました。
さて娘の運動会のビデオ係の私は、幼稚園とは違い生徒数も多いので『わが子』を見つけるのは容易ではありません。グラウンドも幼稚園の園庭よりは大きいものですから、ベストポジションを探すため、ビデオを片手にウロウロしていると、たくさんの患者さまにお会いできました。どのお顔もわが子やお孫さんの元気な姿を見て『やさしい表情』をされていたのが、とても印象的でした。
そんなやさしい気持ちのギャラリーの中、運動会の2週間ほど前に、腰痛が再発した私の顔は、少しでも不自然な姿勢や、ヘンに腰をひねったりすると『ピキッ!』と悲鳴を上げそうな腰を抱え、ひきつっていたにちがいありません。でも、M先生のおかげで何とかビデオ撮影できるまでに回復でき運動会に間に合いました。M先生いつもありがとうございます!
2006年11月 『新たな旅立ち…』
先月号の『スマイル28号』にて、スマイルスタッフの戎谷が退職します!とお伝えしたところ、たくさんの患者さまから『ねぎらい』と『退職を惜しむ声』をいただきました。本当にありがとうございました。中には遠く福岡から『Faxメッセージ』&『お花』を届けてくださったり、『記念の品』をプレゼントしてくださったり…と、9月末から退職する10月14日まで、毎日 泣きそうになりながら最後の予防ケアを担当してくれました。
思い起こせば、'03年春先面接に来た戎谷は『衛生士学校』を卒業間近の初々しい『女の子』でした。今では、どこの歯科医院の衛生士さんにも負けないくらい、一人前の歯科衛生士として、また立派な一人の大人の女性として成長してくれた…と思います。彼女の成長とともに、わが大杉歯科診療所の患者さまの来院数や、定期的な予防ケアを続けて下さる患者さまが増えたのは間違いありません。この場を借りて『本当にありがとうエビちゃん、そして次のステップに向かってガンバレ!』とエールを贈りたいです。
さて、9月1日より新たなスマイルスタッフとして研修中の歯科衛生士のデンタルナース杉本が加わりました。彼女は本当に衛生看護科と歯科衛生士の専門学校を卒業した、まさにデンタルナースなのです。
たまに歯科医院の女性スタッフのことを『看護婦さん!』と呼ばれる方もいらっしゃいますが、同じような白衣を着ていても、(ウチは白衣は着ていませんが…)全然、資格が違いますのでご注意を!!
さて簡単に私の方からデンタルナース杉本をご紹介します。
デンタルナース 杉本 梓 (すぎもと あずさ)
血液型…A型
星座……かに座
趣味……料理
好きな食べ物…マンゴープリン
※戎谷と同様、イヤそれ以上によろしくお願いします。
(お願い)まだ緊張気味なので、お気軽に話しかけてやって下さい。
2006年10月 『オシムジャパン』
2006年6月のドイツでの惨劇(ドーハの悲劇にちなんで…)から3ヶ月あまり。2敗1分けでW杯ドイツ大会を終えて、目標だったベスト8どころか、決勝トーナメントにすら進めなかった(泣)『ジーコジャパン』。直後の『ヒデ引退』&『オシム監督決定』でジーコジャパンのこの4年間の反省がなされずに次へ向けてスタートしたように思います。マスコミもジーコジャパンを検証する論調は少ないですよね。誰でも『反省する』『改善する』のはイヤなものです。でもそれをやらないと進歩しない…前へ進まない…と考えるのは私だけでしょうか?
『カイゼン(改善)』が合言葉のトヨタ自動車をみればわかりますよね…そういう私もやはり自己中心的な人間ですから、あまり反省していないような気がします。反省してもぐっすり眠った次の日には、すっかり忘れている(笑)!
まあ、私だけじゃなく日本人とはそういう民族なのかもしれません(しっかりと反省できる方、ゴメンナサイ)。誰も責任を取ろうとせずに一部の人に押し付けて、反省もせずに、過去を検証し、歴史に学ぼうとしない、あらゆる場面でこういうことのくり返しではないでしょうか?
政治や外交では、何十年も前の戦争責任でモメて、靖国問題となり、アジア諸国と対立。経済では『パロマの湯沸器』(少し前のナショナルのストーブ・もっと前の三菱自動車のリコール問題や、雪印など…)あとは耐震偽装の問題も、誰も責任をちゃんととってない気がします。誰もが知っている大企業でさえ、何とか責任を逃れようとする。もちろん人間だれしも非難されたくはありませんから…。話を『オシムジャパン』に戻しましょう。オシムは言いました。
『日本人らしいサッカーを目指すべきだ!!』と。何と素晴らしい『ビジョン』でしょう。明確な目標がなければ、それまでの道のりに何をやるべきか?わかりませんよね。日本人に合ったサッカーをする。それは『スピード」と『走り負けないこと』だと。体格の良い欧米の選手や、テクニックのある南米の選手のマネをしてどうする!!ということでしょう。
サッカーには野球やバレーボールのようにタイムアウト(作戦タイム)はありません。ゲームが始まれば選手自身の判断が求められます。しかもコンマ何秒の単位で…ゲームの展開を読み、考えながら走りプレーをする。いままでにはない『トルシエ流管理型』でもなく『ジーコ流個人まかせ型』でもない。『日本のサッカーはこうだ!!』と言えるオシムサッカーに期待している今日このごろです。ただ、決定力不足はあいかわらず…ですがこれから期待する選手としては『トゥーリオ』です。守備の選手ですがチャンスと思えば最前線にまで上がってプレーします・ガッツもありヘディングもワールドクラス!!ぜひ今後の日本代表の試合でも『田中マルクス闘莉王』にご注目!
2006年8月 おばあちゃん逝く
先月、私ごとですが、母方の祖母が亡くなりました。
この2年あまり、ほとんどの時間を自宅のベッドの上で過ごす状態でした。
それでもつい最近までは、食事の時には食卓まで(抱きかかえながらですが)やって来て、イスに座って自分で食事をとり、介助が必要でしたがトイレにも行ってました。もちろん会話なども普通にできて、TVで大相撲を見る
のが楽しみでした。週に1度はデイ・サービスにも通い、週3回ヘルパーさんが来るのを楽しみにしていました。
月に1〜2度は、子供たちを連れて顔を出していたのですが、先月のある日、診療が終わった頃に、家内から『おばあさんがよくない』と連絡が入り
ました。とりあえず片付けるだけ片付けて、家族で、車で40分ほどの
『おばあちゃん』宅に向かいました。
到着すると、母をはじめすでに何人かの親せきが『おばあちゃん』を取り
囲み、声をかけてはいましたが、あまり意識もはっきりとはしない状態
でした。とりあえず私が耳元で『来たヨ!』と声をかけると、少し目を開けて
反応してくれました。すでに呼吸は少し苦しそうでした。その後すぐに顔色がスーッと急変し、私たちが来るのを待っていてくれたかのように、静かに息を引き取りました。
私が小さいころ、県外の病院に1週間ほど入院したことがあります。そのときずっと付き添っていてくれた『おばあちゃん』でした。
この2年間、毎晩『おばあちゃん』の背中をさすっていた『じいちゃん』と身の回りの世話をしていた『おば』と『いとこ』には頭が上がりません。私はたまに『義歯(入れ歯)』の調整に行くくらいで、世話になった分の半分も返すことができなかったのが悔やまれます。
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